796: 名無しさん@おーぷん 21/04/15(木)13:07:41 ID:oG.qy.L1
私が結婚した翌年に両親が離婚したんだけど、その離婚に至る経緯が衝撃的だった。
正直あれから20年以上経つ今も私の中では完全には消化しきれていない。
私の父はいつの時代だよってぐらい男尊女卑の塊みたいな人だった。
女は家政科にでも進学して卒業したら多少の社会勉強をし、早々に結婚して
可能な限りの子供を産み育てるべきって、小さい頃から言われ続けてきた。
女に学問は要らん、社会進出より家庭を守れって人。
私は一人っ子なんだが、母の事も「ひとりしか産めないのは女としてはどうかと思うが
まぁひとりでも産んだだけマシ」みたいなことを言ってて、
私はそういう父が大っ嫌いで、何故こんなのと結婚したのか母に聞いたことがあったが
「別に好きで結婚したわけではない。見合いで条件が良かっただけ」
って言っていて、結婚してこんな男だったって解った時に別れようとは思わなかったのかと聞いたら
「もう面倒臭かったから」と。
母は父がどんな態度でいようと柳に風って感じだった。
そんな母のことも私には理解できず嫌悪感しかなくて、とにかく早く結婚して家を出て、この人たちから離れたかった。
結婚して半年ほど経った頃、突然母から電話があって、
「これからお父さんに離婚の話するんだけど、あんたにも関係あることだから来なさい」
って言われて、今更?と思いつつドキドキしながら実家に行ったら、既に父が母を殴った後だった。
目の下を腫らした母は痛がりもせずに「私子、離婚したからって私の将来を面倒見てほしいとは思ってないから安心しなさい。
それからこの男の面倒をみる義務もないから安心していいわよ」って。
意味が分からないし、ただオロオロしていた私に「この男、あんたの父親じゃないから」って。
私、托卵された子供だった。昔、結婚できなかった男性と、結婚翌年に再会して焼けぼっくいにナントカだったそうな。
その相手も今は離婚して、老後ぐらいは好きな人と暮らしたいんだとか。
母は「私がひとりしか産めなかったんじゃなくて、あんたに種が無かっただけ」と父に言い放って出て行った。
その好きな男との間にできたと言う私には「あんたも好きに生きなさい」と言い残して。
父のコメカミにはぶっとい青筋が浮いてて、このまま血管切れて倒れるんじゃないかと、うっかり心配してしまったぐらい
その時の父はこれまでに見たことの無い険しさだった。
そしてその険しさが引いたあとは抜け殻のようにおとなしくなった。
本当に“抜け殻”と言う言葉がぴったり。
そしてこんなこと、夫には恥ずかしくて話すこともできず、両親の離婚の事実だけ伝えた。
あんなに嫌いだった父だけど、なんでかわかんないけど放っておけなくて
そんな義務もないのに心配で時々実家に様子見に行ったりしてた。
母に対してはそれまで以上に嫌悪感が酷くて一切連絡をとっていない。どこにいるのか今も知らない。
多分調べれば簡単に分かるんだろうけど、知りたいとも思わない。
父は仕事は不思議とちゃんと通勤していて(会社の様子は知らないけど)それから数年後に定年退職。
一度だけ「無理して来なくていいんだぞ」って言われたことがあったけど
「うん、嫌になったら来るのやめる」とだけ言って、でも結局月1ぐらいで通い続けた。
退職して一年ぐらい経った頃に、初めて「飯でも食いにいくか?」って言われて
初めて回らないお寿司に連れて行ってもらった。
その時に、これまでのこと、色んなことを謝られた。涙ぐんでもいた。
身から出た錆、自業自得、とネガティブな言葉を何度も繰り返して。
本当になんでか分からないんだけど、そんな姿を見ると可哀想になっちゃって
「もういいよ」って許してしまった。
この時に夫に全て話した。
実の父じゃないので本当は面倒見る義理はないんだけど、放っておけないから今後も通うことを許して下さいって。
そしたら「許せる気持ちになったんなら悔いの無いようにすればいい」って言ってくれて
それからは父が心筋梗塞で亡くなるまで夫や子供たちも普通に実家に通ってた。
母が出て行く前と後、こんなに全く違う人間になるってあるんだろうかってぐらいに本当に別人だった。
たぶんうちの子には、父は好々爺の印象しかないだろう。
私が子供の頃、どんなふうに言われてきたか話しても嘘だと思うだろう。
どうせなら小さい頃からこんなふうに父と過ごせていたらどんなにか。
夫のおかげで、後悔なく父を見送れたのは心から感謝している。
しかし、今どこにいるかわからないラスボスのことを考えると憂鬱でもある。
お願いだから二度と私の人生に関わってきてほしくない。
たぶんあの人には父のような感情にはなれないと思う。
これもなんでかわからないけど。
正直あれから20年以上経つ今も私の中では完全には消化しきれていない。
私の父はいつの時代だよってぐらい男尊女卑の塊みたいな人だった。
女は家政科にでも進学して卒業したら多少の社会勉強をし、早々に結婚して
可能な限りの子供を産み育てるべきって、小さい頃から言われ続けてきた。
女に学問は要らん、社会進出より家庭を守れって人。
私は一人っ子なんだが、母の事も「ひとりしか産めないのは女としてはどうかと思うが
まぁひとりでも産んだだけマシ」みたいなことを言ってて、
私はそういう父が大っ嫌いで、何故こんなのと結婚したのか母に聞いたことがあったが
「別に好きで結婚したわけではない。見合いで条件が良かっただけ」
って言っていて、結婚してこんな男だったって解った時に別れようとは思わなかったのかと聞いたら
「もう面倒臭かったから」と。
母は父がどんな態度でいようと柳に風って感じだった。
そんな母のことも私には理解できず嫌悪感しかなくて、とにかく早く結婚して家を出て、この人たちから離れたかった。
結婚して半年ほど経った頃、突然母から電話があって、
「これからお父さんに離婚の話するんだけど、あんたにも関係あることだから来なさい」
って言われて、今更?と思いつつドキドキしながら実家に行ったら、既に父が母を殴った後だった。
目の下を腫らした母は痛がりもせずに「私子、離婚したからって私の将来を面倒見てほしいとは思ってないから安心しなさい。
それからこの男の面倒をみる義務もないから安心していいわよ」って。
意味が分からないし、ただオロオロしていた私に「この男、あんたの父親じゃないから」って。
私、托卵された子供だった。昔、結婚できなかった男性と、結婚翌年に再会して焼けぼっくいにナントカだったそうな。
その相手も今は離婚して、老後ぐらいは好きな人と暮らしたいんだとか。
母は「私がひとりしか産めなかったんじゃなくて、あんたに種が無かっただけ」と父に言い放って出て行った。
その好きな男との間にできたと言う私には「あんたも好きに生きなさい」と言い残して。
父のコメカミにはぶっとい青筋が浮いてて、このまま血管切れて倒れるんじゃないかと、うっかり心配してしまったぐらい
その時の父はこれまでに見たことの無い険しさだった。
そしてその険しさが引いたあとは抜け殻のようにおとなしくなった。
本当に“抜け殻”と言う言葉がぴったり。
そしてこんなこと、夫には恥ずかしくて話すこともできず、両親の離婚の事実だけ伝えた。
あんなに嫌いだった父だけど、なんでかわかんないけど放っておけなくて
そんな義務もないのに心配で時々実家に様子見に行ったりしてた。
母に対してはそれまで以上に嫌悪感が酷くて一切連絡をとっていない。どこにいるのか今も知らない。
多分調べれば簡単に分かるんだろうけど、知りたいとも思わない。
父は仕事は不思議とちゃんと通勤していて(会社の様子は知らないけど)それから数年後に定年退職。
一度だけ「無理して来なくていいんだぞ」って言われたことがあったけど
「うん、嫌になったら来るのやめる」とだけ言って、でも結局月1ぐらいで通い続けた。
退職して一年ぐらい経った頃に、初めて「飯でも食いにいくか?」って言われて
初めて回らないお寿司に連れて行ってもらった。
その時に、これまでのこと、色んなことを謝られた。涙ぐんでもいた。
身から出た錆、自業自得、とネガティブな言葉を何度も繰り返して。
本当になんでか分からないんだけど、そんな姿を見ると可哀想になっちゃって
「もういいよ」って許してしまった。
この時に夫に全て話した。
実の父じゃないので本当は面倒見る義理はないんだけど、放っておけないから今後も通うことを許して下さいって。
そしたら「許せる気持ちになったんなら悔いの無いようにすればいい」って言ってくれて
それからは父が心筋梗塞で亡くなるまで夫や子供たちも普通に実家に通ってた。
母が出て行く前と後、こんなに全く違う人間になるってあるんだろうかってぐらいに本当に別人だった。
たぶんうちの子には、父は好々爺の印象しかないだろう。
私が子供の頃、どんなふうに言われてきたか話しても嘘だと思うだろう。
どうせなら小さい頃からこんなふうに父と過ごせていたらどんなにか。
夫のおかげで、後悔なく父を見送れたのは心から感謝している。
しかし、今どこにいるかわからないラスボスのことを考えると憂鬱でもある。
お願いだから二度と私の人生に関わってきてほしくない。
たぶんあの人には父のような感情にはなれないと思う。
これもなんでかわからないけど。